• 結果から言うと、無事に条件通りの部屋を借りることができた。                 冒頭に結果を書いたのは、部屋探しを開始してから借りるまでに約1カ月かかったからだ。当時の自分を思うと、せめて文章くらいは早く結末にたどり着かせてやりたい。

    「明日また来て」を何度か繰り返した後、部屋を紹介してくれる人の電話番号を教えてもらうことができた。内見するにはアポイントを取らなければならない。                    当時は外国人は携帯電話を持つことができなかったので、(もちろん抜け穴はあるがその話は割愛)電話をかけるには、雑貨屋さんにある固定電話を借りる。イメージとしてはさつきが近所の家の電話を借りたような、あんな感じ。電話がかかってくる場合は雑貨屋さんに伝言を残してもらう。

    電話番号を入手したので、早速かけてみる。雑貨屋さんで電話を借りてボタンをプッシュすると、数秒の後に早口のミャンマー語が返ってきた。もじもじしていたら、切れた。ミャンマー語が話せないのに電話をかけるのだから当然だ。

    友人に電話をかけてもらい、内見の約束を取り付けてもらった。明日の16時に部屋を見られるらしい。

    翌日の16時に待ち合わせ場所へ行くと、誰もいない。待てど暮らせど、誰も来ない。

    近くの雑貨屋さんから電話をかけると、「大家から鍵を借りられなかったから明日また来て」。

    異文化の洗礼、ここでいちいち目くじらを立ててはいけない、ということを私はまだ知らない。                                  ちなみに今の私は知っている、約束の前日、当日、待ち合わせの1時間前に忘れられないよう電話をかける。相手が待ち合わせに遅刻してくる?もはや相手が着いた時間が待ち合わせ時間と認識した方がストレスは減る。短気は損気、茶でもすすろう。

    知らない私はイライラと焦りを募らせていた。1月、乾季から少しずつ暑季に向かい、気温は35℃を超えている。外をうろうろ歩いた挙句に空振りするのだから、苛立ちは増す。            翌日、待ち合わせ時間を30分以上過ぎた頃、「あんたたちだね」と声をかけられた。         相手は4人くらいいた。                                       友人が言った、「負けちゃだめだよ」。                            え、何に?

    部屋など、何かを仲介する人のことを「ポエザー」と呼ぶ。ポエザーや仲介手数料のおこぼれをもらおうとする人も着て、最終的には7人くらいになった。もはや仲介者が誰かわからない。                       少しでも手数料を高く取りたいから、ポエザーたちは強い。                   この部屋を逃すともうないよ                                 ここでこんなに安い部屋は他にないよ                             明日中に契約しないとすぐ他の人に取られるよ                          そういった商売文句を大勢が同時に言い、そうだそうだと同意する声も同時に聞こえてくる。

    やっと内見までこじつけたと思ったら、今度は部屋を一つ見るたびにポエザーたちの怒涛の商売トークを浴びた。全員が同時にやいのやいの言うから、ただうるさいだけである。                                         早く部屋を決めたいが、家賃が予算超え、場所が悪い、水浴び場が汚い、古すぎる…なかなか好条件の部屋に巡り合えないのは日本でも同じだが、実際に現地を訪れるまで写真や間取りの情報もわからないから、明らかに「ハズレ」の部屋も見るはめになる。                              疲れる上にポエザーたちの早く決めさせたいという圧も強くなるが、負けるわけにはいかない。

    何日かに分けて何部屋も内見した結果、予算以内で立地もよく、新築のアパートの1部屋を借りることができた。何より、大家さんが外国人に好意的。

    ミャンマーが「東南アジア最後のフロンティア」と呼ばれてちやほやされ、数年後には日系の不動産仲介会社も進出することになる。

    仕事をしにミャンマーへ来たわけではなかったが、確かに「フロンティア」精神は必要だった。

    その時の部屋。                                           ワンルームタイプだったが、ある日大家さんがやって来て、壁を立てて帰っていった。       あれはなんだったんだろう。

  • ミャンマーに住んでいた最初の1年は、ヤンゴン外国語大学に語学留学していた。

    2012年当時、ヤンゴンでアパートを借りた時の話を書いていこうと思う。

    その頃、私のミャンマー語レベルは挨拶だった。挨拶や簡単な会話ができるとかではなく、一方的に挨拶として「こんにちは」を言い、返ってくる言葉はまったくわからん、文字通りの挨拶レベル。

    そこで、ヤンゴンに住むミャンマー語ぺらぺらの日本人の友人を頼った。

    その友人は言った。                                      「まずは住みたい場所のコンヤ―サインに行く」                         初手から意味がわからない。                                 この友人とはその後、今でも交友関係が続く関係性を築くことになるのだが、友人はミャンマーを愛するあまり自らをミャンマーに寄せ、「説明」という概念が欠落していることはこの時はまだ知らない。

    「コンヤ―サインて何?」                                   「噛みたばこ屋だよ」                                     「噛みたばこて何?」                                     「男の人がくちゃくちゃ噛んでる赤いやつ」                           「私は家を借りたいんだけど」                                「そうだね」

    先が見えない会話を何往復もした内容を要約、さらに補足すると、噛みたばこ屋は地域の情報網でいろいろな情報が集まり、部屋の賃貸情報なんかも知ってて紹介・仲介をしているから、住みたいエリアの噛みたばこ屋へ行って部屋を知ってるか聞くことが部屋探しのスタート地点、ということらしかった。

    冒険の始まりかよ。冒険の始まりを知るまでに既に疲れている。

    今でこそミャンマーではインターネットは問題なく使え、誰もがスマホを持っているが、この頃のネット環境は悪く、ネットカフェに行ってもだいたい使えなかった。情報は人づて。アナログ。

    私はヤンゴンにある、Hledanという町を選んだ。ヤンゴンの学生街だ。

    友人に手伝ってもらいながら噛みたばこ屋に部屋の空き情報を聞いて回った。           携帯電話も高級品で市井の人は持っておらず、「聞いておくから明日また来て」と言われた。そして翌日また訪れると、「知ってる人に会えなかったから明日また来て」。

    本当に部屋は借りられるのだろうか、それはいつになるのだろうか。               時間ばかりかかって遅々として進まない。不安が募っていった。

    街の噛みたばこ屋。至る所にある。                              なんかの実と石灰をなんかの葉っぱに巻き、それを噛む。一度噛んでみたがまずかった。

  • ミャンマーは東南アジアの1国で、暑い。                           季節は3つあり、10月〜2月が乾季、3月〜5月が暑季、6月〜9月が雨季、だいたいの時期はこんなだ。雨季を除き、だいたい暑い。

    ミャンマー1年目、ヤンゴン外国語大学に留学で入学したのが12月、乾季だった。          乾季は過ごしやすい、暑いもののカラッとしていて、夜には涼しく感じることもある。

    日、一日とヤンゴンで暮らしていく中、私はある重大なことを忘れていたことに気が付いた。

    暑さに弱いんだった。

    片頭痛持ちで、毎日暑さで頭が割れそうだ。                          ミャンマーに来て3か月目には、持ってきた痛み止めがなくなった。                暑季前からこれでは、暑季本番は一体どうなってしまうのか。恐怖である。             ヤンゴン在住の日本人の友人に聞いてみたところ、こう返ってきた。

    「家を出た瞬間、あ、ごめんなさいと思う」

    よくわからないが、いざ暑季本番を迎えたところ、よくわかった。                連日気温は40℃を超え、体感温度はもっと高い。                       40℃を超えた外気は、息を吸うと暑い空気が肺に入り、体内が熱くてくらくらする。

    「家を出て息を吸った瞬間、あ、こんな時間に外に出ようとした自分が間違いでしたごめんなさい」

    友人の言葉を補うとこういうことになる。

    ミャンマーの人たちはどうしているかというと、日中は昼寝している人が多い。          その分夜が長く、22時くらいでも子供たちが通りでサッカーをして遊んでいたりした。       学校も4月5月の最も暑い時期はお休みになる。エアコンなんてないから、授業どころではない。

    とはいえ生まれ育った環境が最初から暑いミャンマーの人たちは、日本人と比べると暑さに強い。                                 暑さに逆らっては危険だが、暑さに負けては生きていけない。

    朝の市場で赤ちゃんを抱っこしながら野菜を売っているお母さんたちを見て、この人たちは生きているだけで偉いと思った。

    その数年後、35℃を超えると体感でわかるという特技を身に付けた。               ミャンマー語同様にこちらも活かす場がない。

    暑さを活用し、路上で漬物を発酵させていた。

  • 唐突に出てきたミャンマー。

    クーデター、内戦、洪水、地震、、、そんな悲惨なニュースでしかなかなか目にすることがないミャンマー。

    人間はそのミャンマーに2012年〜2020年の期間に、約7年住んでいた。

    ミャンマー語(ビルマ語)はビジネスレベルである。

    ミャンマーに関するビジネスは軒並み撤退しているので、今となってはかくし芸大会くらいしか使い道がなく、かくし芸大会に出る予定もないので、ただ隠している。

    犬に看板を背負わせるにあたり、何か商品が必要である。                     それならせっかく縁があったミャンマーの小物やらなんやらを扱ってみるのもいいのではないか。

    ゾウの置物とか?違いますそれはタイです。

    蓮の柄のポーチとか?違いますそれはベトナムです。

    ピッタインタウン?何それ?それはミャンマーのだるまです。

    そう、そんなレベルだよね、ミャンマーの物のイメージって。                  むしろイメージある人がいたら驚く。

    よくわからないけどこれ素敵だね、へーミャンマーの物なんだ。ふーん。             そのくらいがいいのではないかと思う。                            きっちりするのはミャンマーらしくないからね。           

  • 吾輩は看板犬である。

    背負う看板はまだない。

    敬愛する飼い主が「君は看板犬になるオスだ」と言ったから、そうなのだ。

    飼い主はまだお店を持っていない。

    なんなら商品も持っていない。

    ドタバタと家の中に在庫を置くスペースを作っていたが、商品はまだない。

    先にホームページも作ったが、宣伝するものがないからブログでミャンマーのことを書くらしい。

    飼い主は圧倒的なリーダーシップで「できることだけ先にした」と言っていた。

    信頼できる飼い主だから、看板を背負う日も来ると思っている。

    おもちゃを手に載せることだってできる。

    あっ